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旧中山道歩き 第8回目

期日:2024年1月30日
参加者数: 14名 (サークル山行)

ギャラリー


中山道歩きの第8回目。
今回は本荘宿から新町宿を通って倉賀野宿まで歩きました。

JRの本荘駅で下車、最初に訪れたのは金讃神社(かなさなじんじゃ)。
541年創建の古刹で、社殿は極彩色うるし塗りの権現造りです。

境内には樹齢が凡そ400年というクスノキがありました。幹回り6m、樹高30mという大木です。


こちらは神楽殿。
毎年11月3日の本庄祭りにはここで神楽が演じられます。

次いで訪れたのは諏訪神社。
古墳(円墳)の上に建っていました。

その先、畑の真ん中にも円墳がありました。
浅間山古墳です。
上里町周辺には古墳時代に大規模な集落が営まれ、数々の古墳が造られたとのこと。

円墳の中に石室がありました。


歩いている途中、石塔群が置かれている場所がありました。
自然石の石塔や絵だけの石塔、文字だけの石塔などいろんな石塔がありました。
 

ここは陽雲寺。
信玄の正妻、三条の方がこの境内に居住し仏門に帰依したそうです。

この寺にある鐘楼は朝鮮式の鐘楼で、国の重要美術品に認定されています。


勝場の一里塚。
日本橋より23里目。
お堂の脇に碑が立っていました。

神流川(かんながわ)橋。
ここが武蔵国と上野国の国境でした。
今もここが埼玉県と群馬県の県境となっています。

神流川古戦場跡の碑
信長が本能寺で倒れると家臣の瀧川一益は信長の仇を討たんと出陣し、ここ神流川原で北条軍と激突。瀧川軍は敗退しました。戦国時代関東における最大の激戦と言わています。

橋の上に県境の標識はなかったのですが、上里に少し入った所に左埼玉県と書かれた標識がありました。

八坂神社。
中山道の上野国玄関口にあたるため、疫病の侵入と蔓延を防ぐため建てられたと伝えられています。

当時の様子が描かれた絵が紹介されていました。
八坂神社の隣に茶屋がありその脇に柳の大樹があって、いつしかこの茶屋も「柳茶屋」と呼ばれるようになった、との説明書きがありました。


鳥居の脇には柳にちなんだ芭蕉の句碑がありました。
「傘(からかさ)におしわけ見たる柳かな」

明治天皇御在所。
明治天皇が北陸・東海地方を視察した時に宿泊した所です。

烏川沿いの堤防を歩いていきました。


遠くに浅間山が望めました。


烏川を越えて高崎市に入りしばらく歩いていくと中山道(右)と日光例幣使道(左)との分岐点に出ました。 

当時の道標。
「右 江戸道 日在 日光道」と彫られています。

この日の終点、倉賀野駅に到着しました。


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